まぁ、色々あるのさ、世の中は。

「作品」を「コンテンツ」と呼び始めた邦画界 "お蔵入り映画"が続出する杜撰な内情

 考えさせられますね。それこそ、東京にいたときに映画を見にく場合、渋谷だったので余計にそう思ってしまうのでしょう。

 経済という括りで考えれば、確かに人が入らない映画なんていらないわけです。でも、映画って、こういう思いを伝えたい、というものがあるわけで……。その思いと収益がリンクしている場合が殆どないのが今の日本映画の現状なのでしょう。キャタピラーなんて賛否両論ありますが、それは作品の思いとか意図していることが伝わっている証拠でもあると思うんですよね。ヤマトなんてまったく正反対で、これに思いが入っているとは到底思えない。

 もともと、外から何かあってはじめて評価するのが日本の国民性というか、サガのようなものなのですから、これを覆すのはまず不可能なんだろうなぁ。


民主主義2.0 ネットで「直接」政治

 面白そうな試みではあると思います。そうはいっても、ネトウヨとかそういったものをどうやって捉えていくか、ネットなどの環境がない人もいるわけでその人はどうするか、ネット弱者ともいえるような、そもそもネットに弱い老人などはどうするのか、結局その時々のトレンドに流されかねないか、などなど問題は山積みなんですが、それでも今の政治よりかはいいんじゃない? と思ってしまう私なのでした。

 しかし、初音ミクを例として出しているキャラクラシーというものには明らかな反対をいいたいですね。まず、キャラクターである必要性がどこにあるのか。

初音ミク議員の具体的な政策は、ネット上に集う匿名の支持者たちが決めていく。実際に国会に行く役目は、キャラクターの忠実な代行人になると宣言した実在の人物が担う。(斜体はリンク先より引用)

これって、政党政治でしょ? そもそも政治家っていうのは、政治に参加している時間がない人のためにいるようなもの。現時点で政治家=キャラクターじゃないの? という疑問が出てきます。

 次にキャラクターは本当に政治的に活用できるものだろうか? というものがあります。と、いうもの、キャラクターってそういった主義や主張から切り離された存在なんじゃないのか? と思うからです。日本鬼子の出来事なんてまさしく、キャラクターが主義や主張を切り離した事例ではないか、と考えてしまう。もしかしたら、これは日本人特有なのかもしれません。ただ、日本人特有だとしても、アメコミのヒーローの一人、パニッシャーが死刑を反対するようなことが果たしてあるだろうか? 少なくともキャラクラシーではそれが有り得る話になってしまいます。おかしな話です。

 ただ、日本に限らずどこの国でも起こっているのでしょうが、政治に関する閉塞感があるのは確か。果たして、世界はどこへ向かうのやら……。
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