今回は新書の感想。「キャラクターとは何か(小田切博・著 ちくま新書)」です。これまでのこの手の本と違うのは、日本以外にも目を向けているところ。と、いうのもこの手の本はたいてい、「キャラカルチャーは日本独自のものだ!!」というのが多く、江戸時代の春画とかの説明に入るのですが、逆に海外に目をむけることは少なかった。ですが、この本はむしろ海外に積極的に目を向けています。まぁ、そこでもいろいろと考えたいところはあるのですが、それらも含めて興味深かった本でした。

 以下、メインの感想は後半へ続く。


 さて、この本の特徴は、「キャラクタービジネスとはどういうものか?」 というところに目を向けているところ。はじめに書いてある通り、この手の本は「文化論」と「産業論」に分けられると思います。私の考えでいえば、「動物化するポストモダン(東浩紀著 現代新書)」は文化論ですし、「ジャパニメーションはなぜ敗れるか(大塚英志・大澤信亮著 角川oneテーマ21)」は産業論でしょう。後者を読んだ私の感想を今読むを色々と考え深かったりしますねぇ。まぁ、それはともかく、この二つを分けないで考えてみよう、というのがこの本の趣旨でもあります。

 私自身、キャラクタービジネスというものを直接捉えたのはとても興味深かったです。はじめにに書いてあるように、たしかにここ二、三年にマンガ界では大きなことが起こっていました。ジョジョの奇妙な冒険のコーラン事件やガッシュの作者が小学館を訴えたり、漫画の殿堂だったり。ただ、これらは語られるべきなのに大して語られていないで終わった感があります。漫画の殿堂はいいとしても、前の二つは今のサブカルチャー、主にマンガやアニメになるのですが、を考えると避けては通れない問題をはらんでいるはずなのに少なくともオタク界隈では黙殺です。私を含めた界隈のレベルがそこまで落ちた、ということなのかもしれませんが。ともあれ、この本はこれらの問題はキャラクタービジネスに根付く、というわけですね。

 この本の面白いところはトップにもあるように海外、特にアメリカについても書いてあるところ。それまで海外を排除してきたのだから、私にとっては新鮮でした。キャラクターに関する日本とアメリカの違いは確かにありますね。ライセンスをひたすら押さえ込みすべてを制御するアメリカとある程度のグレーラインを引き(最近ではだいぶ大きくなってしまった感がありますが)場の空気を読む日本。あくまでも、今は、ですけど。

 私はサブカルについて国が口を出すな! という考えの持ち主ですが、00年代中頃以降の国の対応が外圧によるものだった、というのは驚きとともに、なるほどねぇ、と思ってしまった次第です。詳しいことは読んでもらうとしてはしょって説明すれば、それまで独自の著作権を持っていたアメリカが国際的な著作権の仲間入りをして周りの国々にどうような開放を強要してきた、ということです。すげぇな、アメリカ。幕末から何も変わってねぇ!! そんなわけで、ちゃっかり日本のサブカルに黒船が着ていたわけですね。

 あんまりグダグダ書いてあれなのでいい加減しめるとしますが、いつまでも内に閉じこもっているわけには行かない、ということでしょう。日本国内であれば「場の空気」でなんとかなったりしますが、一歩外にでればそんなわけには行きませんから。

日本のキャラクタービジネスの「国際化」は現地のファンの手で基盤が整備されたために、日本国内においては「国際化」そのものの実感が薄い。(P172 9~11行)

このことは日本国内の実感はもとより現地のファン以外の人が抱く誤解も産んでしまっているのでしょう。本の中でもほんの少し触れていますが、非実在少年なんていうよく分からない言葉が出てきた背景には誤解が大きそうですし。イギリスで起こったエロゲー騒動なんてまさにそんな感じがするのですよねぇ。なにかいい案があるかといえば、何も思い浮かびませんが、グダグダと考えていくことにしましょうかね。
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