やっぱり映画は朝一番に限りますね。先月はスターウォーズを観たのですが、感想を忘れていましたねぇ。

 以下感想です。







 伊藤計劃の作品三部作の最後の作品です。屍者の帝国、ハーモニーに続く作品です。作品の時系列でみると、屍者、本作、ハーモニーとなります。

 率直な感想は頑張ったと思います。原作をパッと読んだ感じは映画化に適してそうだけど、少しでもそのことを考えると作品の複雑さや描写の難しさが出てきてしまうと思います。物語のキーとなる虐殺器官を発動する文法について、原作では具体的なものが取り上げられていないわけですから。その上にかなり現実に即している近未来を描いているわけでそりゃ難しいです。

 知識がないと頭を使う映画ではあると思います。押井守の攻殻機動隊(もしくはイノセンス)を観ている感じに近いでしょう。この時点でかなり人を選ぶ作品かもしれないです。もっとも、押井守よりもかなり優しいですが(押井守が思考の迷宮に入り込んでいるだけかもしれないけど)。

 原作を読んでいるものとして苦言は二点。一点は、なぜ主人公クラヴィスの母親についてをバッサリカットしてしまったか。作品中、ほとんどのシーンで主人公は精神コントロールしている状態になります。腕が吹き飛んでも痛みを感じず戦闘を続け、子供にも淡々と銃を向けてその命を奪いそのことに何も思わない脳を作り出しています。そんな人間性を極端になくした状態で唯一人間性を保たせているのが母親の存在。観に来た人が感情移入できる要素といえばそこだけなのにどうしてなかったことにしてしまったのか。
 二点目。個人的にはこれが一番いいたいことですが、どうして最後を変えた? 原作では最後の最後のシーンがあるからこそその奇妙さ、奇怪さが浮き上がるというのに。単に感情を亡くした一人の男がそれを取り戻す作品じゃないんです。あれでは話そのものが意味をなくしてしまいます。どうしてそうしたのか。最後はマイルドに終わらせたかったのかもしれませんが、最後まで絶望の淵へと観ている人たちを立たせなければ意味がない。だから余計に、難しいだの、わかりづらいだのいわれるんです。ちなみに原作ではこの終わりがハーモニーへと続くことになっています。

 しかし、制作会社の倒産があってかなりの難産でしたが結果的に今の時代にマッチしてしまった作品になったのは否めないです。だからこそ最後をあのように変えたのかもしれません。だとしたら虐殺器官が目覚めることを恐れたのかもしれないですね。
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