このブログでも何度か紹介しているアコギPの新作です。普通なら曲の感想で終わるのですが、今回はちと違ったのでその辺りで思ったことをグダグダと。

予告しておきます。次にアップするのは「救いのない曲」です。でも、こういう曲も必要なんですよ。本っっ当に落ち込んでいる人は、「救いのある曲」を聴いても救われないからです。むしろ落ち込んでしまう。自分と同じような(あるいは、もっと酷い)物語に触れてこそ、やっと前を向けたりする(https://twitter.com/AcogiP/status/570260744006053888



と、アップする前にツイッターで呟いていてこの曲のスタンスがわかります。アコギP自身もそう呟いていますがこの曲は応援歌なんです。

 この意見自体はそれを地で行くと決めてこのブログをやっているとはボチボチここで書いていたはずなので私自身、賛同しています。

 とはいえこうしてこのブログにここまで書いている以上、なにか引っかかる釈然としないのがあったりするわけです。と、いうのもこの歌詞のことは私にとって普通なことです。そう、普通だからこそ、釈然としない。この釈然さは単なる我儘であることも確かです。流れるコメやつぶやきなんかで時折出てくる同情のようなもの。私はこれらを素直に受け止められなくなるのです。正しくこの歌詞のように。

 私にとってこの曲は己の現実と世界の現実との違いを容赦なく見せつけてくるものだったりするのです。そしてただ死にゆくだけと思っている心にそれ以外の何かをほのめかすものとなっています。だって釈然としない気持ちが出てくるのですから。それがいいものか悪いものか、私にもわかりません。出てきてもどうしようもないことはわかっているのに。

 こんな記事を書いて一番ほくそ笑んでいるのはアコギPなのかもしれませんね。
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