何のためにって、喋らせネタのためです。中之条ビエンナーレが面白かったのでこちらも行けるだろう、と思っていたのですがなかなかそうはいかないようです。正直、これで喋らせネタを作ろう! という盛り上がりがどうも……。

 なんというのでしょうかねぇ、いいたいことはわかるのですが、「で?」といってしまうのです。私に美術を読み取るセンスはないですし、センスをある程度補える知識や経験もありません。だから、てめぇがなにをいう、という苦情は甘んじて受けます。ですが、それでも、あんたは何がいいたい、といいたい。

 正直中之条の時のような面白さは全くありませんでした。横浜はどちらかといえば、博覧会でした。4分33秒とか猫へのインタビューのような面白いものはありましたが、それは作品単体としての面白さで会場全体の面白さとはまた違うもの。何より横浜はものすごく説教臭い。自分の知っていることが世の中であるという顔して見下すおっさんがする説教臭さがそこにはありました。俺は世の中に対してこれほどのことを知っているんだ、すごいだろと虚勢を張る少年のような面もありました。どちらにせよ、世界に目を向けているつもりで見ているのは自分です。

 華氏451度を元ネタとした展覧会ですが、だとしたらその世界は今とはかなり変わってきています。政府が情報を統制するディストピアが絵がかがれれいるこの小説ですが現在はむしろ情報を統制しようとするがうまくいっていないのではないのでしょうか。こういう展覧会が今のような状況を作っているんだ、という考えはできます。ですが、それはメディアのやることであり芸術が行うことではありません。芸術は今を叫ぶべきであり、現状を憂い理想を掲げることはあっても今を切り取ることを誇りに思うこととは違うように思えます。そんなことは後世の美術研究家に任せてしまえばいい。

 私にとって、横浜のこの展覧会にいくよりも中之条の六合エリアを見て回ったほうがよほど心にきて考えさせられるものであるといい切ってしまいます。

 そんな訳でこんなのを喋らせネタに使えるわけもなく、悶々としてるわけです。そんな訳でこの横浜の展覧会にもあったある言葉を最後に記したいと思います。


このことについては、黙っていることにした。
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