ガソリンかぶり? 火付ける=中年男、集団的自衛権反対訴え―東京・新宿

 新宿という都会のどまんなかで起こったこの事件。この事件の反応を見るとどうもモヤモヤとした気分になってしまいます。

 この記事だけ見るのなら少なくともこの人にとって集団的自衛権は自らの命をかけてまでも反対するべきものだったのでしょう。しかし、(少なくともネットの)反応は「バカなやつ」ならいいほうでほとんどが男に対して誹謗中傷のようなことでした。私はそこにモヤモヤを感じてしまいます。確かにやった行動は極端ですが、だからといって行動を批判して終わりなのでは男の言いたかったことを何一つ拾っていないじゃないですか。賛成だから関係ない、とでもいうのでしょうか。だとしたらその考えに一石を投じるために命をかけたのではないのでしょうか。

 個人の命なんて大きな流れに関係ない。そう意見するのなら世の中の大半の人が政治とはまったく無関係な世界にいますし、選挙だってたった一票です。101,236,029人もいる有権者の中でたった一票。だから選挙に行く意味が無いので行かないという意見をその人は受け入れるのでしょうか。

 ネットを見ていて思うのはあるのはコミニティであり社会などは既にないのではないか。小さなコミニティ(ネットや会社、親戚などなど)には属しているものの、それらを統合するものがない。むしろ、コミニティ=社会だと思っている。この男の最大の悲しみはここではないのでしょうか。既に消失した社会をあるものと思っていた。だからこそ自らの命をかけて訴えてみたものの、肝心の前提だった社会がなかったからこそこのような反応になったのではないのでしょうか。

 と、ここまで考えてやっぱり社会とのズレを感じざる負えない私なのです。なぜならそう思っている私がごく少数派ということから。少なくとも人の命が関わっていることを迷惑だ邪魔だとバッサリ切ることはできません。それは電車への飛び込み自殺でも同じこと。人間は意外と自害ということができないものだと体験しているので余計にそう思うのかもしれませんが、やはりこれも極々少数の考えのようです。そうなると結局のところ間違っているのはきっと私なのでしょう。この社会は正しければ多数派になるらしいのですから。

 このブログを初めて結構経っていますが、社会に生きづらさを感じているのはずっと変わっていないですね。
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