いいたいことは感覚的にはつかめるのですが、それをどう他人に知らせるのかどうかというとなかなか難しい話です。

 さて。私が引っかかったのはリア充の対義語が非モテであるということ。確かに、岡田斗司夫さんは非モテなのかもしれません。ただ、完全な非モテ(というか喪男)の私としてはどうも釈然としませんでした。そしてもんもんと考えた挙句、出てきた答えが、その対義の仕方がおかしい、というものでした。

 文字で見るとリア充の対義は非リア充です。非モテの対義はモテになる。なので、リア充の対義として非モテを使うからおかしいのだ、ということになりました。リア充は現実が楽しいかどうか。モテは他人からモテるかどうか。リア充は個人でも完結可能ですが、モテは他人がいて初めて発生する事象です。
 そして、この二つの軸で考えると、私は、「非モテで非リア」。岡田さんは「非モテでリア充」。話に出てきた大学は「モテでリア充」。そういうことです。では、「モテで非リア」という存在がいるのか、というと……ギャルゲーの主人公がまさしくそうですね。

 さてこう考えるとひとつの疑問が私の中に湧いてきました。それは、

果たして岡田斗司夫さんは社会不安を高める要因になりうるのか

ということ。なぜなら、岡田さんは非モテだからです。非モテが社会不安を高めるのか、非リアが社会不安を高めるのか。さて、しばらく難しいことを考えましょうかね。
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