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 はい、読み終わりました。今日はこの本の感想についてだらだらと書いていきます。えらく長くなりそうなので、本文は後半に回すとして、色々と考えてしまう本でした。

←世界を変えたらしいですよ、うちのミクさんが。



 この本は、

初音ミクを代表とするVOCALOIDがこれまで行ってきたことは過去に起きた大きな音楽業界での出来事と引けをとらないほど大きなことである。サード・サマー・オブ・ラブというべきほどのことなのだ

と、いうことを書いてある本です。

 基本的にいいたいことはそれだけ。後は、「ほら、過去に起きたサマー・オブ・ラブと似ているでしょ?」といっているだけです。初音ミクが出始めた当初から追っていた私としてはなんだか釈然としない、モヤモヤともムカムカともとれるよくわからない気持ちで読み終えました。

 どうも、サマー・オブ・ラブというにはどうも説得力がない、どこか的はずれな印象を受けてしまいました。

 音楽業界をよく知らない私として、60年代にアメリカで起こったヒッピー文化、カウンターカルチャーであるサマー・オブ・ラブと80年代イギリスで起こったダンスミュージックのムーブメント、セカンド・サマー・オブ・ラブの二つが同じようにいわれている理由がはっきりとわかりませんでした。前者はそれこそ、ありとあらゆる文化を世界中で巻き込んで行われたものですが、後者はそれが音楽のみに限定されていてどうも小さく見えてしまいます。何より前者は賛否は置いておくにしても「世界へ訴えていく精神」というものがあった。そして後者にそのような精神が希薄なように思えて仕方ないのです。

 とはいえ、音楽業界ではそのようにいわれているのですし、業界単位でみたら確かに同じような感じに見えます。では、レディ・ガガのオープニングアクトも決まってしまった初音ミクを代表するVOCALOIDの出来事がそれに当たるのかといえば、やはり首をひねってしまいます。もし、プロではなくアマチュアの、企業ではなく個人のという草の根運動的なことをいっているのであれば、音楽を含む文化といわれるものは大抵草の根運動から始まっていくものではないのでしょうか。これを読み終えてまず思ったのは、音楽業界は常に上澄みだけをすくって自分の好みで評価だけしている、というものでした。

 私の率直な意見をいってしまえば、

アニソンやゲーム音楽などをくだらないといい、まったく論じようとしない上に、初音ミクが発売した当初その業界のはだれも反応しなかったばかりかむしろ白い目で見ていたじゃないか。なのに海外で少しだけ評価されたからって過去にやったことを検証もしないで手のひらを返してくるんじゃないよ。こっちから願い下げだ!

と、いうものですが、まぁ、本音と建前の使い分けは重要ですよね。


 そうはいうものの、サマー・オブ・ラブだ、と叫ぶ割には説得力がどうも乏しいように思います。先に書いたような理由は置いておくにしても、ピッピーとしていた一人であるスチュアート・ブランドがその後「全てのデモの母」とパソコンの世界で呼ばれているダグラス・エンゲルバードのスタッフの一人だったからサマー・オブ・ラブと今のボカロを本質的な線で結んでいるのだ! と声高らかにいわれても、私としては反応に困ってしまいます。だって、ダグラスがヒッピーだった、というのならまだ考える余地がありますが、そのスタッフの一人ということなのですから、どう答えればいいものかわからなくなるのは当然でしょう。

 セカンド・サマー・オブ・ラブとの関連についても意味がわからず、

八○年代後半のクラブカルチャー勃興期を現場で体験し、その後九○年代以降の日本のクラブミュージックを支えてきた人間が、二一世紀になってボーカロイドのシーンにいち早く反応し、インターネットカルチャーの最前線にいるクリエイターをサポートしている(P71より抜粋)

から繋がっているのだという。ここでいう人はユーマ株式会社の弘石雅和氏。レコード会社でDECO*27さんやsasakure.UKさんのCDを出している会社。当時を体験している偉い人が食いついたんだ、繋がっている。といっているようにしか思えず、これもまた反応に困ってしまいます。音楽業界というのは、偉い人、名の売れている人が扱うから凄いのでしょうか?

 サード・サマー・オブ・ラブについてはこの辺にしておいて、初音ミクの歩みについてはなんだかとっちらかっている感じがして何がなんだかわかりません。こと初音ミクが出始めた時については考えることをやめてしまったかのような感じすら覚えました。まず、土壌について。見方そのもは間違っていないのです。ですが、ニコニコ動画に関わる解釈の仕方がどうもおかしい。MAD動画をとらえたのはいいとしても、アイマス動画がMADではない。アイマスはむしろMADが消滅していく中で、なぜかわからないが、生き延びた、というのが本当のところじゃないのでしょうか。MAD動画がどういうものか、一度勉強してみることをおすすめします。ちなみに私が好きなMADは下のものです。よく残っているものですね。



 次にMIDIのジャスラックによる著作権問題。MIDIを使って耳コピした音楽をジャスラックが徴収に乗り出した。このことは本書でも書かれていますが(P177)、ここで取り上げないのはおかしい。MADを含めた、こういう背景があるからこそカバーではなくオリジナル楽曲が初音ミクで作られていったわけであって、それは当時の音楽業界が行ったことでもあります。こういう負の部分に目を向けることこそ必要なのではなかったのでしょうか。

 他にも浮世絵に例えたり、海外で絶賛されたTHE ENDは内容もスゲーってキャラソンだからと初音ミクの消失を歯牙にも掛けないあなたがいうなよ、と突っ込んでみたりと終始心の置き場に困ってしまう本なのでした。

 良かったところといえば、最終章のクリプトンの社長の話。最近、クリプトンが何を考えているのがいまいちつかめなかった私としては、とても参考になりました。前の記事にも書いたように、初音ミクの前では誰もが平等だと思っているので、これからどうしていくのか注意してみていきたいと思います。少なくとも私は初音ミクを喋らせることに関してはレディ・ガガよりもうまい……はず。だといいなぁ。

 最後に著者さん、色々とこの本でお忙しいようですが、ボカロというブースターエンジンの切り離し準備はできました?
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Thoughts on スポンサーサイト初音ミクはなぜ世界を変えたのか? の感想。

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