渋谷まで観に行ってきました。服装が大分気になりましたが私のような人がいたので一安心。きている人々もかなり様々で私のような人や、芸術畑っぽい人、カップル、外国人などなど。しかし、上演中に立ち上がる人はいるわ、爆睡する人はいるわ、で、そこいらの映画館とたいして変わらないよなぁ、と思ってしまい、この手の劇場に関してかなり幻滅したりしています。

 音で圧倒されたり絵が面白かったりして、楽しめました。話が難しいという声が聞こえますが私自身それほど難しといは思わなかったものの、実に芸術畑っぽくしたな、というもの。正直な所この手の試みはどんどんやって貰いたいと思います。サブカルチャーやハイカルチャーなんていうのにはつばを飛ばしたくなる性格ですが、変わったことはどんどんやって欲しいですね。次はOSTERプロジェクトさんのAlice in Musiclandなんてどうでしょう? 明るくていい感じに揺り戻しがくると思うのですが……。

 それはともあれ、感想です。

2013-05-25 15.35.08_mmp


 はじめに、私自身この手のオペラというのを見るのははじめてなので、その手の人にしてみれば明らかに違っていたり、的外れだったりするだろうことを、そして芸術とやらが全くわからないということを書いておきます。そういった意味で、映画の感想に近い感じなってしまっているであろうことをいっておきます。


 ざっくりいうと、死をテーマにした内容。もう少し具体的にいうのなら、cosMo@暴走Pの「初音ミクの消失シリーズ」とかなりに通った部分があります。なので、THE ENDとこのシリーズを絡めながら進めていきます。そういっても、THE ENDは消失シリーズとは違って明確な回答を出していません。そして消失シリーズの「初音ミクの消失」だけを切り取った話がTHE ENDにあたります。そういった意味で消失シリーズの方がより丁寧にストーリーが組まれています(芸術畑側にしてみれば大衆向けといことになるのでしょうか)。

 THE ENDと消失シリーズの初音ミクとでの明らかな違いは、死という概念がどういった意味合いなのかがはっきりしているかどうかということ。前者はあやふやであり、後者ははっきりしています。消失シリーズの場合、みなから飽きられること、誰からも使われなくなることが死を意味するものです(ゆえに「消失」なのでしょう)。
 THE ENDはまず、死というものを知り、その後どういったものか探すことになります。死の概念を知った後自分は使われることによってのみ生かされる存在だと知り、使われ続けるかそれをやめるかの選択を迫られたところで劇は終焉してしまいます。

 ここまでだと同じ話ということになるのでしょうが、プログラムにある坂上秋成の解説を借りるのなら、<<楽器>>と<<キャラクター>>が分けられているということが消失シリーズと大きな違いになるでしょう。<<楽器>>と<<キャラクター>>の狭間で浮かんでは消える存在から確かな何かになる物語、というのがTHE ENDの解説になっています。もっとも、ここまで端折られて書かかれると解説を書いた氏は甚だ憤りしか感じないような気もしますが。

 私はこれがどうも古臭く感じてしまいます。まずは<<楽器>>と<<キャラクター>>の対比についてはそれこそ初音ミクが発売した当初の問題になったことで、その一つの回答としてライブやこのようなオペラがある。<<楽器>>が主か、<<キャラクター>>が主かということは棚上げしたものの、お互いに取り込むことによって今の初音ミクがある。その棚上げにしたことがちょくちょく蒸し返しているものの、その過程を今、いうことについては遅すぎるかもしくは早すぎます。いうなれば、演技を行う人と同じで演技技術がうまい(<<楽器>>)かその人自身か(<<キャラクター>>)ということと同じで、どちらがどちらと安易に切れるものでありません。そこが直感的にでも分かっている厨は反発するのだと思います。これが遅すぎるの意味。
 早すぎるの意味はどちらが主か論争がどうなるかわからないところです。現状、明らかに<<キャラクター>>が優勢状況であり、私のような<<楽器>>は劣勢に強いられています。戦いは数だよ、兄貴、という言葉通りに<<キャラクター>>勢は圧倒的なその周知させる力をもって母数を増やし攻勢を私に仕掛けてきます。どんなに不利な状況になろうとも<<楽器>>勢が踏ん張るのは<<キャラクター>>に持続性を見いだせないから。一過性のブームになりそのまま朽ちていくのなら、流行らずとも長く楽しめることを選ぶ。どんなに儲けが少なくなろうとも、それに変えられない何かを失う訳にはいかないからです。そういった意味ではTHE ENDは確かに的を得ている内容になります。しかし、まだ結論を出すのは早すぎる。せめて今年いっぱいは抵抗させて貰いたい。その後、バッサリと切ってほしい。ゆえに、早すぎるでもあるのです。

 さて。消失シリーズとの違いは死の概念がはっきりしているかどうかと書きました。THE ENDは<<楽器>>と<<キャラクター>>が分けられていることによって同じ事をテーマにしているものの2つを1つと考える消失シリーズと大きく異なってしまいます。THE ENDの死の概念がはっきりしなかったのはどのボカロシーンよりも初音ミクという自己同一性を強く持たせ確固たる一人のヒトとして召喚させようとした結果なのではないのか。そう思うと古典的なオペラの批判があるはずのこの作品がどんな作品よりも最も古典的な内容になっているようにも思えます。

 他にも色々あるわけですが、長くなるので最後に一言。強烈なまでに確固たるヒトとしていたTHE ENDは最後、自分の存在意義を他人、つまり観客に全て投げ出してしまいます。(芸術に慣れ親しんでいないからか?)多くの人はここで戸惑うでしょうし、困惑するでしょう。そんなあなたに消失シリーズよりこちらの作品をが救いになればいいなと思います。



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