特許競争、「追い風」期待=iPS細胞ノーベル賞で―専門部署で知財戦略・京大

 いやはや、すごいものですね。ただ、このiPS細胞とノーベル受賞で思ったことがあります。そうはいっても、最近はニュースすらもテレビで見なくなったので、よく出勤中に聞いているラジオのことです。なので、全体だと違うかもしれませんのであしからず。

 で、思ったことは、iPS細胞の持ち上げられ方。それまでこの手の再生医療はどちらかといえば、否定的な意見が多かったです。なぜなら、人一人を作れてしまうわけですから。大抵の場合、倫理面で引っかかってしまい、便利そうだけど嫌だよね、といった感じがあったはず。

 その考えもわからなくはないです。例えば、脳に大きな障害を思ってしまい、その障害を補うために脳を作ったとしましょう。脳は記憶や感情など、今の人としてなくてはならない重要要素の塊ですが、iPS細胞で作った脳は果たしてものを考えているのでしょうか? 考えているとすれば、果たしてその脳で障害を補うことは是か否か。考えていなかったとするにしてもそれはそれでこれまでの常識を大きく変えてしまうことになります。哲学の領域にはいってしまうこの問題を解決するには無理にしても、倫理という一線を明確にすることで今の社会との折り合いをつけていくことは可能です。結果として、再生医療の全否定になってしまうとしても。

 この問題を一斉になくしてしまったのが今回のノーベル賞受賞だったのではないのか、と私は思ってしまいました。どの番組も素晴らしい、正しく夢の医療だ、と褒め称えています。はては、今の認可医療の問題まで出てくる始末です。これは一体どういうことでしょう? 私のはノーベル賞という名誉のなせる技としか思えないのです。

 基本スタンスとして私は再生医療には期待している側なのでこの流れは歓迎すべきなのでしょう。しかし、名誉があるというだけで手のひら返しが起こったとしたなら余計に、目の前に立ちふさがる哲学的問題を避けてはいけないような気がします。


 二つ目に思ったこと。それは受賞した人の過去についてのことです。彼は今の職に就く前、臨床外科医を目指していたものの不器用で「邪魔ナカ」と呼ばれていた、なんてことをニュースになっています。それってどうなのだろう? 有名人が「私はいじめられっこでした」っていっているのと同じじゃないのでしょうか?

 挫折や失敗を乗り越えて、というのはありふれていますが心に来るものがあります。でもね、邪魔ナカといった人すらもいい人みたいにいうのはやめてもらいたかったです。もっとも、これこそ私のよく聞いているラジオの人だけなのかもしれませんが、その人は愛着を持ってその言葉をいった、なんてこの言葉からどうして出てくるのでしょうか。もちろん、そういった意味だったのかもしれません。でも、手術という重要な場面で、邪魔、なんていわれれば、どう捉えるでしょうか? 

 これもノーベル賞という名誉のなせることなのでしょうか。私自身が相当ひねくれているのでそう思ってしまうのかもしれませんがね。

 そんなわけで、ひねくれ者がみたノーベル賞受賞騒ぎでした。最後に。ノーベル賞を何人が受賞した、なんていう馬鹿馬鹿しいことはいい加減やめたほうがいいと思いますよ?
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