もう、この際だから吐き出してしまおう、ということです。


































 何やってもうまくいかない。一時期できっとそのうち過ぎ去っていくのかもしれませんが、私にとっては永遠に思えるようなことなのです。

 いやね、本当に何をやってもうまくいかないのさ。裏目裏目にやることなすことが見事に出て、そのたびにいろいろな人に迷惑をかける。私だって、好きでやっているわけじゃない。自分でもびっくりするぐらいなんですから。

 どうしていいのかわからない。歩く度に何かを踏んで爆発させて、その片付けをしている最中にも何かを爆発させる。もう、疲れましたよ。どうして世の中の人々はそううまく世界を歩けているのだろう。自分には到底手にできない何かをみんな持っているのだろうと思ってしまいますし、実際そうなんだろうとも思います。

 ここ最近よく思うことは、たった一つでいいからなにか才能が欲しかった、ということ。そうすれば、その才能にすがって生きていけるのに。もちろん、うまくいくとは限らないですが、それでも自信を持っていけるその才能があれば、まだ世界を歩いていけるように思えるのです。もちろん、持つものの苦しみもあるでしょうが、何も持っていないものの苦しみとどちらがより苦しいのか。永遠に答えが出ない問ですね。

 この世界で生きていく上で最も重要なものは才能よりも「運」でしょう。宝くじはもちろん、どのような家庭で生まれるか、どこの国で生まれるか、どういう人と出会えるかなど、運によるものが大きいと思います。個々人の動きにしたって、どれぐらい動けるかはその人の体力や財力、地位、名誉なんかに大きく左右されることですから、それらを一括りにできる運というものはやっぱり、無視できないし、大きいものだと思います。

 運を数値で計れればいいのに。私は間違いなくマイナス補正でしょうが。運を上げるやり方? 私が知りたいです。黄色いものを身に着けていてもダメなものはダメですし。

 そんな事考えて「私は運がなかった」という一言ですまないのが今の世界。やっぱり私にはこの世界は息苦しい。努力をしたところで運は上がらないし、才能がないのだから何も開花しない。すべては己の責任になっていく。運が無い自分のせい。才能がない自分のせい。アイツのせいだ! と声を荒げることが出来ればどれほど楽だろう。それもきっと、才能なのだろう。もしくは、運がよくて、周囲が納得するのだろう。

 この世界は生きづらい。生きづらさがわかっているからこそ、道場に咲くしょうもない花に目がいくのだろうか。そんなことはないはずだけど、そんな些細なことを運を持つもの、才能があるものは目もくれないし、話をしても全く興味を持ってくれない。だから余計にわからなくなるのです。

 大きな世界とのズレを感じながら、昨日も今日も明日も、何もない私はどうにかこうにかこの世界で這いずっていくしかないのでしょう。こうして生きている限り。
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