ネガティブなので、戻るを推奨します。たまにこんな文章を書いている気もするので読まなくてもいいかもしれません。






















































 さて。最近、色々と思ったり考えたり悩んだりすることが多いです。きっかけはよくわかりません。ただ、小さなことが積み重なってこうなったのでしょうね。仕事のこととか、人間関係とか、自分自身とか、そんな小さなことが。

 自分がいかに社会に適していないのか、本当に悩み続ける日々です。今に始まったことではないにしても、やっぱり、辛い。必死になっていたからこそ、余計にそうなんでしょうね。よくある、「掴めそうな希望を見せさせてそれを壊すことが絶望」みたいななのがありますが、それに似たようなものでしょう。努力して結局無理というのはこれまで何度も経験してますが、何度あっても、なれないどころか落ち込み度合いがひどくなっているような気がします。

 そんなことを書くと、アスペルガー症とかそっちの病気を疑いたく私ですが、ネットで調べても、出てくるのは当てになるのかもわからない診断テストのみ。具体的にどうすればいいのか、もちろん、医者に行けばいいのですが、どこの医者に行けばいいのか、それが近くにあるのか、などなどの情報はなかなか出てきません。出てきても大抵、都会の病院ですしね。ちなみに、その手の診断テストをやると私の場合、その可能性あり、という結界になります。確かに一度は専門の医者に見てもらったほうがいいのでしょうね。

 ともあれ、私自身、関係というものがさっぱりわからなくなっているのは確かで、それを何とかしないといけないわけです。理由は簡単で、「生きていけないから」。アスペルガー症とかネットで調べてみると、天才に多いとか、〇〇(有名人や偉人)はそうだったとか、出てきます。説明の関係でそれはそれでいいのですが、私のような、「必死に頑張ってようやく人並みになる」ような人間の場合、もはや打つ手なし、としか思えないのです。なぜなら、「才能があれば問題ない」ということなのですから。そう。「才能があれば生きていける」のです。その症状を持った人が皆、何かしらの才能をもっているわけではないのです。そういえば、サヴァン症候群の人をモデルにしたドラマがそこそこ受けていたようです。スマップの誰かがその役をやっていたと記憶しています。見ていないのでそのドラマが、という指摘は無理ですが、サヴァン症候群をモチーフにした話は大抵、何かしらの超人的な能力で問題を乗り越えていきます。私はやっぱりそのことに首を傾げてしまいます。理由は先程と同じ。結局、一部の人でしかないはずなのですから。もちろん、サヴァン症候群はアスペルガー症なんかよりもより明確に、得意なこと、がわかるのでしょう。しかし、それがどれほど社会が接点と認めてくれるのだろうか。特定の年月日を行って曜日がわかろうと、一度みた風景を明確に描けようと、社会にとって所詮は客寄せパンダのレヴェルではないだろうか。もちろん、サヴァン症候群とアスペルガー症、自閉症なんかを十把一絡げにするのは横暴です。それでも、彼ら彼女らが社会とのズレに悩んでいるとすれば、まだ、許されるのでないのか、と思うのです。やっぱり横暴、ですかね。

 閑話休題。このような心境は私自身、実は二度目です。一度目は無職の時。正確にいえば、無職から再就職してから暫くの間、です。この時と今はほとんど同じ心境なのですが、決定的に違うのは、今は、サラリーマンである、ということ。少し長くなりますが、無職の時の私の状況を少し振り返ります。ちなみに、どの時期かというのはこのブログでだいたい分かるはずです。

 この時は、基本的にハロワ通い。求人を幾つか応募し、面接などをうけ、落ちる。面接まで行けばまだいい方で、書類で落とされるのがほとんどで、ハロワの帰りに証明写真と履歴書を買うっていうことはざらでしたね。面接を受け、なんとか合格して、試用期間中にやっぱり要らない、ということでクビになったときに何かが崩れたようで、3日ほど布団から出なかったりしました。そんな中でもどうにか動いていたのはやはり、「生きていけないから」。ハロワはタダでも、証明写真、履歴書代、スーツだってクリーニングに出さないわけにもいかない。腹は減る。家賃、光熱費……。そう、生きるために、生きるために……。こんな時期に知ったのは、バトロンでした。週に一度、三時間パックでネカフェへ行き、バトロンを起動して一人でニヤニヤしていました。気持ち悪いですが、当時の私を見てくれている数少ない、なにか、だったのです。私が武装神姫、特にバトロンに執着しているのはそんなことがあったわけですが、私以外の人にとってはどうでもいいことですよね。

 再就職してからもその不安が拭えなかったのもクビになった経験があるからです。会社に務めていても周囲の視線が狂気しか見えなかった。そんな中で初音ミクを知って、泣いて……。うん、私ってキモいね。確かに社会とずれていても仕方ないのかもしれません。

 そう考えると、やっぱり、そんな私のキモい状況をしっかりと見てくれていた人も近場にいたのは大きいです。泣き言を、相談事を親よりも誰よりも聞いてくれたその人に私は感謝しているし、今でも尊敬しています。ここまでどうにかこうにか踏ん張れたのはその人がいてくれたからでしょう。


 そう。その時は色々あったとはいえ、社会にでること、それが重要でした。でも、今は違います。社会にでても、合わせられないのです。ズレてしまうのです。では、自分が病気だとわかればいいのか。わかればそのずれの問題は解決します。でも、生きていけなくなる。静かに死ねるのならそれでもいいですが、死ぬということはそうも簡単にはいけない。そして最も最悪なのは、病気ではない、といわれること。認められず、ズレからも解消されれず、どうしようもない世界に閉じ込められてしまう。

 結局、私は生きづらい社会の中で行き詰まった状況なのです。それでも、一歩を踏み出さないといけないのかもしれません。せめて。こんなまとまりのない文章を読んだ人の心が軽くなったのなら。せめて。こんなへんてこな文章を読んで小さくとも一歩踏み出せそうと思えてくれたのなら。それだけで社会から嫌われている私がいた意味があったのかもしれません。
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